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井上靖詩論のためのメモ8

(8)
 一九九〇年一〇月、第八詩集として上梓された最終詩集『星闌干』(集英社刊)には四十九編が収められている。そのタイトル詩の中に、次のような詩行がある。

    
〝星闌干〟なる詞がある。闌干とは、星の光り、
輝き、乱れ、流れ、跳ぶさまをいうと、辞書に
は記してある。このような星の乱れ、飛ぶ、烈
しい交錯の中に、故里の夜空のあの独特の美し
さの中に、〝平成〟 の自分を立たせることがで
きたらと思う。   (「星闌干」終行)

 この詩は、詩人井上靖は自らの生き方を振り返り書いたものだが、心の葛藤がめくるめく星のながれのように鮮烈によみとれるだろう。永遠に輝くいのちの言葉と言い換え
てもいいかもしれない。
 井上文学の中を流れているものは静かな人間愛と自律の心である。くりかえしになるが、わめき散らすことも、感傷的でもなく、ただ去っていくもの、そして別れていくものへの、それは透徹した詩人の深いまなざしであるといえようか。


平成元年一月某日、夕刻、書斎の窓際に立ち、

たまたま想いを、己が幼年時代を過ごした伊豆・
天城山麓の郷里の村に馳せる。故里の集落は小
さい宝石の固まりのようなものになって、果て
しなく遠く、静かな、ーたとえて言ってみれば、
天体と入口とでもいったような所に置かれてい
る。
    
    
夜が更けると、我が故里の集落は睡り、それを
押し包んでいる夜空には、無数の星がばら撒か
れ、光り、輝き、時の流れ、時に墜ち、時に奔
っている。故里の村の星空の、この世ならぬ美
しさを、久しぶりに、実に久しぶりに、心と瞼
に描かせて貰う。 ( 以上「「星闌干」二、四連)

 
また、次の「永別」でも人生の別れを歌っている。

 
八十才の声を聴く頃から、知人の訃報に接する
事がおおくなっている。親しい人、恩誼ある人、
先輩、後輩、肉親、ーー次々に〝別れ〟 に立ち 
合う。
淋しいとか、悲しいと過、そういった気持ちで
はない。遠くにその人の姿を見付けて、別離の
手を挙げる。乱戦野田だ中で、高く、高く、今
性の別れの手を挙げる、そのような思いである。
 (「永別」冒頭部分)

 
最晩年、井上靖はおそらく満天に輝く闌干たる故里の星空のもと、なによりも平和を祈り、あの忌まわしい戦禍に殉じた今き亡き友を悼む。この詩集全編に流れているテーマーといっていいだろう。
 その鮮烈な叙情の火は、生涯、靖の胸から消えることがなかった。それにしてもこの詩集にも「雪」が多く用いられている。純白な雪が浄化する魂(言葉)を、信じて、生涯手放さなかった詩人でもある、といいたい。おもえば、平成三年(一九九一)一月二十九日、昭和戦後期の文豪井上靖は永遠の眠りについた。駆け足のように井上靖の若い日から晩年までをふりかえりながらに、あの書き上げたばかりの原稿をにぎって駆けつけた若き日の井上靖のことを思う。井上が地上を去った日の、石動(現・小矢部市)の町の夕闇には、悲しみの霙が下りていなかっただろうか。
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  by tanaisa | 2016-11-26 10:50 | (詩をめぐる批評関係)

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