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寺山修司私論-②〈歌の別れ〉は何をつかんだか

寺山修司私論-②〈歌の別れ〉は何をつかんだか_f0376775_07453309.jpg 寺山修司が短歌の世界で精力的に活動したのは『チェホフ祭』でのデビューからの十年あまり、ほとんど三十歳までのあいだということになる。なぜ寺山は歌を捨てて二度と帰ることはなかったのだろう。歌の世界で、寺山修司が打ち出したのはわたしのことばにかえていえば歌の「仮装する私の世界」或いは寺山が言う「メタフィジックな私」を、わが国の短歌界では異端されつづけられて、たぶん寺山の世界観を認める者がいなかったということになるおのだろうか。おそらくそのことが寺山修司を短歌から手を引かせたことのひとつの要因だったのではないか。それともそんな単純なものではなかったのだろうか。 本人の不在ないまそれを問うことは出来ないが、短歌から興味が消え失せていったのは、「私とは何か」という唯一の問いを短歌以外に向けていったのだというほかない。そうであるとして言葉の世界から演劇や映画の世界に眼ををむむけることになったのがなぜか。短歌の世界ではなしえなかった「仮装する複数の私」がそこでは実現できなかった。おそらく「仮装する複数の私」は映画、演劇の世界でなら実現することが出来ると信じたからではなかったろうか。
 当時前衛短歌の担い手として注目を浴びた塚本邦雄や岡井隆は、伝統短歌ときれているようで実はきれていないということに気づいたとしても不思議ではなかったろう。それはそれでいいのだが、寺山修司が歌を捨てた本当の訳は本人の言葉では「短歌をこのへんでやめないと私の本題ばかりにこだわって、歴史感覚の欠如した人間になってしまう」と感じたからだという。
 短歌はいくら自己を否定した歌をつくみたとしても結局は「自己肯定」になってしまう文学形式だと断じたからではないだろうか
そんな寺山修司は盗作問題が起きたのも不運なことの一つであった。
第一歌集の『空には本』の中の歌は「時事新報」の俳壇時報に指摘が現れて大騒動になったらしい。その証拠として先に記すが、手前が寺山の短歌で、その隣が本家の例である。




向日葵の下に饒舌高きかな人を問わずば自己なき男
・人を問わずば自己啼き男月見草(中村草田男)

わが天使なるやも知れぬ小雀を打ちて硝煙かぎつつ帰る
・わが天使なるやもしれず寒雀(西東三鬼)

わかきたる桶に肥料を充たすとき黒人悲歌は大地に沈む
・神の桜黒人悲歌は地に沈む(西東三鬼)

莨火を床に踏み消して立ちあがるチェホフ祭の若き俳優
・燭の火を莨火としつチェホフ祭(中村草田男)

莨火を樹にすり消して立ちあがる孤児にさむき追憶はあり
・寒き眼の孤児達の単身たちあがる(秋元不死男)

 これらの「盗作」についてては「時事新報」の俳句時評を当時は私は実際に読んでいないのだが、この件については「編集工学」の松岡正剛氏は次のように書いている。
「寺山さんをデビューさせた「短歌研究」編集長の中井英夫さんも、当時をふりかえって余りに俳句に無知だったと顧みています。しかし、ぼくは盗作大いに結構、引用大いに結構という立場です。だいたい何をもって盗作というかによるのですが、古今、新小今はそれ(本歌取り)をこそ真骨頂としていたわけですし、そうでなくと人間が使う言葉の大半は盗作総合作用だというべきで、むしろどれほどみごとな引用適用作用がおこったかということこそが、あえて議論や評価の対象になるべきではないかとおもうくらいです。」
だが松岡氏がなんとといおうと、世間ではやはりこれを盗作というのであろうし、作者自身の良心が一番知っていることであったろうと思う。


寺山修司は他人からあれこれと批判されることが大嫌いなひとだったという。
寺山修司は家族のことをよく書いている。寺山の父は警察官でアル中の対面恐怖症でどうしょうもない男だった。此も真実かどうかあいまいなのだが、「父は酔っては気持気が悪くなると、鉄道の線路まででかけていって嘔吐した。…私は車輪の下にへばりついて、遠い他国の町まではこばれていった「父の吐瀉物」を思い、なんだか胸が熱くなってくるのだった。」と書いている。
 このネット上の文章はまた「小学生担った頃、自分のへその緒をみせてもらった。貝殻のようなへその緒の入っている木の箱は、二月二十七日付けの朝日新聞につつまれていて、二・二六事件の記事のすぐその下には「誰でせう?」と大きな見出しの広告があり男装の麗人の写真が載っていた。二・二六事件の犯人は水の江滝子に間違いないと思って居た。(『誰か故郷を想わざる』)という。
この文章が本当か、嘘なのかを問うてみてもしかたのないこと。二・二六事件の青年将校と男装の麗人の写真をつきあわせるといった想像の取り合わせは一種の批判を伴っていて誰もが思いつかないような感覚のおもしろさが寺山修司のおもしろさでもある。(未)
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  by tanaisa | 2016-10-13 07:41 | (詩をめぐる批評関係)

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