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中原中也ノート①-千葉寺の詩作など、

(思郎、屋根の上に白蛇がいる)

*昨日の伊東静雄ノートは後日にします。今日から中原中也について書いていこうと思います。みなさまよくごぞんじなので、退屈な文章になるかも知れませんが、よろしくおねがいします。
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中原中也が二度目の精神衰弱が起きるのは昭和十一年である。太宰治がバビナール中毒により東京武蔵野病因に収容されたのが同年の十月、その翌月の十一日に、溺愛していた文也が小児結核で急死。やっと築きかけた幸せな生活が崩れ去る。文也の遺体は中也が離さず、上京した母フクに説得されてやっと棺にいれたという。しかし元の生活は望むべきもなかったようだ。



彼は文也の死後、一日に何回ものその霊前に座ったが,口からしばしば「正行」の名が漏れるの家族は聞いている。〈略〉弟亜郎への追悼と文也へのそれが二重写しになり,時空の混乱が生じたので  ある。「御稜威を否定したのは悪かった」いいながら叩頭を繰り返すようになった(時代は天皇の権威の増大と、戦争に向かいつつあった)。そのために文也が死んだ、という自責が生まれる。
二階の座敷に座っていて,不意に手摺りすの庇屋根に白い蛇が出ている。文也を殺した奴だ、といった。附近の人が葬式のやり方について,悪口を言うのが聞こえる。やがて玄関に巡査が入ってきて足踏みする音が聞こえ出した。           (大岡昇平「在りし日の歌」)


ちなみに「正行」とは楠正成の長男、楠正行である。(南朝への忠義心から明治になって父と共に名誉回復し、戦後の教育勅語にも登場したという。) 中也が六歳の時死んだ次男の亜郎を追悼する詩を書いた時、この正行きの勅語を参考にしたという。



枝々の ?みあはすあたりかなしげに
空は私児らの亡霊にみち                  (「含羞」)



コバルト空に往交へば
野に
蒼白の     
この小児     (「この小児」)


  
菜の花畑で眠ってゐるのは……
菜の花はたけでふかれてゐるのは……
赤ン坊ではないでせうか? (「春と赤ン坊」)」



それにしても中也の詩には死児や夭折のイメージであふれている。次男亜郎、三男恰三(二人とも結核で)という弟二人の死に愛児文也までと、中也の分身は夭折にとりつかれたようなものであった。翌年十二年の正月、上京していた母フクは、次男三男亡き後に頼るべき四男の思郎を上京させる。思郎にも兄の中也を慰めるすべはなかった。



前略、ご無沙汰しました 實は最後におあいしたましたあと神経衰弱はだんだん昴じ、「一寸診察して貰ひにゆかう」といひますので従いてゆきました所、入院しなければならぬといふので、病室  に連れてゆかれることと思ひて看護人に従いてゆきますと,ガチャンと鍵をかけられ、そしてそこにゐるのは見るからに狂人である御連中なのです。頭ばかり洗ってゐるものもゐれば,終日呟いているものもゐれば、夜通し泣いてゐるものも笑っているものもゐるといふ風です。ーーそこで僕は先づとんだ誤診をされたものと思ひました。子供を亡くした矢先であり、うちの者と離れた、それら狂人の中にゐることはやりきれないことでした。     {四月六日 安原喜弘への書簡)


中也が千葉寺療養所に入院したのは一月七日。千葉県にある中村古峡療養所であった。友人の安原に差し出した手紙からは精神病とはおもえないのだが。事実京大神経科の村上仁の伝えるところでは病状は〈軽いヒステリー〉程度のものだったらしく、病院の診断もそれに応じた治療体験録などが残されている。
収容されたという言い方が不釣り合いかもしれないが、先の安原宛の手紙にはそのときの中也の恐怖は〈誤診をきっかけに狂人の中にゐてはついにほんとうに狂っちまふなぞといふ杞憂があり、全く死ぬ思ひであった。〉と書かれている。(このあたりのくだりは、北川透『中原中也わが展開』の「天使と子供ー中原中也の千葉寺受難」に詳しく書かれている。)



収容された千葉寺での中村とは、かつて夏目漱石に師事し実弟の狂気を題材にした小説『殻』を執筆している人物で、それも漱石のすすめで朝日新聞に連載し好評を得ている。その中村療養所での中也はどのような日々をくっていたのか。三十八日間もの間の作品もあるが、入院中の手記として「千葉寺雑記」がある。だがこれは中也が自発的に書いたものというよりは、治療の一環として中村が患者に書かせていたものであるらしく、中村自身が行う精神病理の概説や白隠禅師和讃講義なども、中也はノートをとるように指導されている。




 自戒(戒律?守ル)
  五悪十悪
  十前の戒律
  身・口・意二悪ガアル
   身(折衝、偸盗、邪淫)
   口(悪口、両下、綺語、妄語)
   意(食欲、?恚、愚痴)



精神衰弱の治療方の一環なのだろうが私にはまったく意味がわからない。どんな効果があって筆記させるのかも。だから中也はどんな思いでノートにかきうつしていたんだろうとおもう。「雑記」には中也自身によって病因を分析し、報告する形をとっている。(つづく)


  by tanaisa | 2016-10-02 06:24 | (詩をめぐる批評関係)

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